どうも kakisanです。
みなさん暑い中ですが
体調は大丈夫ですか。
熱中症も対策が充実してきたので
ここ近年は減少傾向にあるみたいですが
油断は禁物ですからね。
色々なグッズを活用して
しっかり予防・対策すれば
決して怖い病気ではないですから。
特にご高齢の方は注意が必要です。
気持ちは若くても
無理のきかない体になってますから
おかしいなぁと感じた時には
遅いってことになり兼ねないですからね。
さて、話は変わりますが
7月31日の20時からNHK Eテレで放送される
「ハートネットTV アートママ~母と息子 最期の物語~」に出演される
現代美術家の折元立身さんをご存じでしょうか?
折元さんはうつ病でアルツハイマー病の母と二人で
介護生活からアート作品を創出してきました。
しかし今年の春、母の死に直面します。番
組では折元さんの喪失と創造の日々に密着しますが
今回はこれまでの折元さんの介護生活や
アート作品・個展などについて紹介していきますね。
目次
【折元立身のプロフィールとは?】
折元立身(おりもと たつみ)1946年生まれ。
神奈川県川崎市出身。
3人兄弟の次男として生まれる。
【今日まで】パフォーマンスアーティスト・折元立身、国内最大規模の展覧会を地元川崎で開催 https://t.co/vbVfo5o93j pic.twitter.com/yw0g4GR9Gw
— Art Annual online (@ArtAnnualonline) 2016年7月3日
父は仕事ぶりは真面目だったそうですが遊び好きで、
幼かった立身さんも一緒に競馬場や競輪所に連れていかれたそうで
4畳半一間に一家5人が暮らす貧しい生活だったといいます。
男代さんは苦しい家計を支えるため社員寮の賄い、ホテルの清掃、
工場の草むしりなどで懸命に働いて一緒に夕食も取れないほどだったそうです。
男代さんは子供たちにカラフルなセーターを着せてくれたり
人形浄瑠璃に連れて行ってくれたりと、
厳しい暮らしの中にも明るい彩りを添えてくれたそうです。
高校生になった立身さんは得意の絵を生かして東京芸大への進学を志しました。
家で絵を描いていると父は「油絵の具の匂いが臭い」と怒ったそうですが、
男代さんは近所に小さい部屋を借りて
「ここで思う存分に描きなさい」と後押ししてくれたそうです。
しかし東京芸大への受験は7回も失敗、
諦めた立身さんは兄を頼って1969年に渡米、
カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アートで芸術を学びます。
1971年にニューヨークに移住して
ビデオアートの先駆者ナムジュン・パイクと彼が中心となり
アメリカから広がりを見せていた前衛芸術運動のフルクサス・グループに出会います。
ナムジュンの助手を務め、フルクサスのメンバーが
街中やスタジオを舞台にパフォーマンスなどを行うイベントに衝撃を受け、
自らも美術館を飛び出して日常にアートを持ち込むパフォーマンスを始めました。
1977年に帰国し、以後は国内及び世界各国で精力的に制作活動を続けています。
【折元立身のアート作品は?介護生活は?】
![](https://i1.wp.com/kakisan.com/wp-content/uploads/2017/07/kaigo_rourou_easy.png?resize=300%2C272&ssl=1)
帰国してからの立身さんは生計を立てるため
百貨店のショーウインドーや商業施設のディスプレーを行う会社でアルバイトを始め、
働きを見込まれて下請け会社を作りました。
休暇の度に海外へ飛んでは
実験的なパフォーマンスを行って記録写真を撮影し、
日本や海外の画廊で発表しました。
ところが1990年代の後半に父が亡くなり、
母・男代さんがうつ病とアルツハイマーを患いました。
兄弟の中で唯一独身だった立身さんは
男代さんと同居を始めましたが、個展やパフォーマンスのために
国内外を飛び回っていた生活の転換を余儀なくされました。
悩んだ末、介護というありのままの現実を作品にしてみようと
男代さんを協力者に制作を続けようと決意しました。
「アートママ」と名付けられた写真や映像作品の数々は
世界中の美術展覧会に招待されるまでになりました。
◎1996年の作品「パン人間の息子+アルツハイマー・ママ」の画像
https://www.cinra.net/news/gallery/92072/12
「パン人間」は立身さんが注目されるきっかけになったパフォーマンスで
顔一面にパンをくくり付けて路上や広場に登場して
驚いたり笑ったりする人々の姿を記録したものです。
◎1997年の作品「スモール・ママ+ビッグシューズ」の画像
https://www.cinra.net/news/gallery/92072/3/
男代さんは身長が130cmで学校の朝礼で最前列に並ばされて
先生にボロボロの靴を見られるのが恥ずかしかったそうで、
立身さんが段ボールで大きな靴を作ったとの事です。
男代さんの介護生活は朝夕2回の食事とおやつの介助、
おむつ替え、歯磨きなど身の回りの世話、掃除に洗濯などと多忙です。
食事作りと入浴は訪問ヘルパーやデイケアを利用し、
ひねり出した時間でドローイングを描き、作品の構想を練りました。
夜は男代さんのベッドの横に布団を敷いて休みました。
立身さんも70代となり持病の痛風で自身も入院し
男代さんを施設へ一時的に預け、退院後は足を引きずりながら
介護と家事をこなす厳しい日々を送っており、
見かねた周囲からは男代さんを施設に入所させるよう勧められたこともありますが
「共倒れになる前に預けた方がいいかもしれないと思う時もある。
でも俺はこの人を手放せないしまだやれる。人間どうせ生きて死ぬんだ。
俺のお袋の生きた証しを少しでも残したいよ」と断ったそうです。
近年は男代さんがベッドで横になることが多くなり
2人で一緒に作品に収まるのは困難になった為、
立身さんが化粧して女装して自身がアートママになって表現する形式を取ってきました。
◎立身さんがアートママになるパフォーマンス画像
https://bijutsutecho.com/insight/364/
しかし今年の春に男代さんが98歳で亡くなったそうで、
立身さんはどうなってしまうんでしょうか。
【まとめ】
いかがでしたか?
これまでアートママという形で母・男代さんを介護する厳しい日常を
芸術へと昇華させてきた立身さんですが、男代さんが亡くなられた今、
どのような生活を送っているのか、
今後どのように活動していくのかが気になりますね。
番組ではそのあたりについて紹介されていくと思いますので
ぜひチェックしてみてください。
では、またお会いしましょう!
~番組情報~
NHK Eテレ ハートネットTV アート ママ~母と息子 最期の物語~
7月31日(月)20:00~20:30