どうも kakisanです。
皆さんは外出するって時にカギが見つからない時ってありますか。
私は今日まさにそうだったんです。
時間に余裕がない時にカギが見当たらない時って焦りますよね。
電話で連絡できる相手なら良いですけど、そうでない場合はマジで焦ります。
泥棒に入られても盗まれるようなものは無いんですが、気持ち悪いですよね。
開けっ放しで行こうと思ったんですが、帰ってきて知らない人と遭遇なんかしたら怖いですし、時間だけが経過して、出かける前なんでエアコン消しちゃったし、汗はドーって出てくるし。。。
だんだん腹が立って「なんでやねん!」って1人で叫んでるし^^
精神的におかしくなった時、ふっとポケットに手を入れると。。。あったんです!
さっきもポケットの中探したのに、その時は焦っていて分からなかったんでしょうね。
「まじかよ。。。」ってつぶやいて、汗を拭いて、出掛けました。
用事は無事に済んだんですが、午前中で既に1日分のエネルギーを使い果たしてしまいました^^
やっぱり、事前の準備は余裕を持って落ち着いて確認しないと駄目ですね。。。
いい教訓になりました^^
皆さんもお出かけ前の準備は落ち着いてしましょうね。
さて、話は変わりますが、皆さんは、「ドロンズ」というお笑い芸人を覚えていますか?
現在は解散しているのですが、“元ドロンズ”の大島直也さんが2017年6月23日(金) 19:00~19:56に放送の「爆報!THE フライデー【あの人は今…大追跡SP】」に出演します。
今回は、大島さんの職業や年収、母の介護の噂や子供についても調べてみました。
大島直也さんのプロフィールは?
出典元:公式ブログ
名前:大島 直也(おおしま なおや)
生年月日:1971年6月6日
出身地:神奈川県横浜市
元お笑い芸人
元コンビ名:ドロンズ
相方:石本武士
今年46歳のお誕生日を迎えられたばかりですね!
おめでとうございます^^
目次
経歴は?職業について!
大島さんの母親は栄養士で料理が好きだった為、大島さんは食いしん坊に育ちます。
両親が共働きだったこともあり、週末は母親も家事を休んで外食を楽しむ家庭でした。
行きつけの店の中には本格的なフレンチやイタリアンなどもあり、幼い頃から舌を鍛えられ、自称「グルメ」です。
大島さんは小学生のとき、ザ・ドリフターズに影響されて、クラスの仲間を集めてお楽しみ会等でコントを披露してて、高学年になると『スネークマンショー』に強い刺激を受けて、コメディアンになることを決意します。
ヒチを楽しませることが大好きなんですね。
友人と『シック・ツー・マンショー』を結成して、音声だけのコントを作成したり、中学生のときにはシティーボーイズ・竹中直人の影響を受けて、芝居路線のお笑いが好きになります。
意外と影響を受けやすい方みたいです^^
神奈川県立東金沢高等学校(現神奈川県立金沢総合高等学校)を卒業して、役者になる事を目指し、日本大学芸術学部映画コースを第一志望としてたんですが、2浪してし断念し、現役・浪人時代合わせて約60校受験しましたが、勉強嫌いの為に惨敗だったそうです。
日本映画学校俳優科2年生のときに“お笑い”の授業があり、クラスメイトと組んでコントを披露することになるんですが、その際に周囲からの反応も良く、手ごたえを感じ、友人とイベント団体『GHOST COMPANY』を結成します。
様々なジャンルで活動をしている若手のパフォーマーを集めてライブを企画・開催しています。(その中で、大島は『ジェリーフィッシュマンズ』というコンビを組み、コントを披露します。
3年生のとき、卒業後の進路を考え、まずお笑い芸人として有名になって、その後俳優業に移行しようと決意し、在学中に知り合った小坂大魔王の紹介で石本武士と知り合い、1994年10月『大島・石本』のコンビ名で「ラ・ママ新人コント大会」に出演します。
小坂大魔王さんとの繋がりがあったんですね。
好感触ではあったが、大島さんは卒業公演が控えていたこともあり、本格的にお笑い活動を行うのは翌年3月以降とすることになります。
1995年3月に卒業し、6月には正式に石本武士とお笑いコンビ「DRUG(のちに「D.R.U.G」)を結成し、改めて「ラ・ママ新人コント大会」に出演し、これを機にお笑い芸人として活動を始めます。
同年10月、マセキ芸能社に所属するんですが、1996年3月に、事務所からは何も趣旨を知らせぬまま『進め!電波少年』のオーディションを受けます。
でも、その時は最終選考に残るが落選してしまうんですが、その後、電波少年と同じプロデューサーの番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の前説を始めることになり、『進め!電波少年』の前説も任されます。
このときプロデューサーによれば、2人の前説の様子を見てこの2人なら猿岩石(同番組で旅をしていた)とはまた違う旅をしてくれそうだと思い、次のヒッチハイクの企画に起用しようと画策していたそうです。
このころ、この番組の準備とは知らずに今後の為に『D.R.U.G』というコンビ名は麻薬などを連想させることもあり、イメージが良くないので変更するようアドバイスを受け、「この世にないオリジナルの言葉で考えろ」という課題から『ドロンズ』に改名します。
改名後すぐに『進め“電波少年』「南北アメリカ横断ヒッチハイクの旅」に出発します。
結果的に解明してビッグチャンスを掴んだわけですね。
御存知の通り、この番組をきっかけにバラエティ番組に出演します。
ところが、2003年3月、俳優になるのが夢だった大島さんは、相方の石本さんに相談・話し合いの結果「ドロンズ」を解散することになります。
心機一転し、俳優業に転身したんですが芸人時代よりも収入は激減し、建築現場や短期のアルバイトに勤しんで生活をなんとか繋いでいました。
夢に向かっての決断だったんでしょうが、俳優の道は険しかったんでしょうね。
新たに芸能事務所に所属し、映画やVシネマなどに出演するも、鳴かず飛ばずの状態が続き、劇団立ち上げの話もでたが、仲間との意見が合わず断念します。
そんな中、父親を脳腫瘍で亡くします。
公私ともに辛い状況だったんですね。
その後、飲食店を企業することを決意し、当初はバーを開くつもりだったが、大阪の知人に勧められて食べた「鉄板鍋」という料理に衝撃を受けます。
東京にないものを提供するお店にしようと考えていた大島さんは、この料理をアレンジしたものを出す店にしようと決めます。
そこで料理や経営について勉強を重ね、飲食店で働きながら修行して、調理の基本を学びます。
2006年8月、東京都の恵比寿に『ちりとり鍋 大島』を開店し、2年後には店の立ち上げにも協力した元タレントの武田夏葉子と結婚します。
『ちりとり鍋 大島』では経理や広報、大島さんの芸能のマネージャーを務め、大島さんを陰で支えました。
2010年12月、大島さんが39歳のときに長男を授かり、ご自身はみそソムリエにも合格し、順風満帆化のように見えましたが、2014年11月22日、「いい夫婦の日」に離婚届を提出されます。
円満な離婚だということでした。
その離婚と同時に夫婦で切り盛りしていたお店も譲渡してしまいます。
奥様の実家はかなりのお金持ちで、店の資金援助もあったので、離婚と同時に支えがなくなってしまったんでしょうね。
現在も店名に「大島」の文字は入ってますが、大島さんとは一切無関係ということです。
「俳優になる」ことが夢だった大島さんは現在マルチタレントとして活躍されています。
それまでには店を開店したり、離婚したり、波乱万丈な人生を送られていますね。
大変な事をたくさん乗り越えてこられました!
年収は?
大島さんの現在の年収はいくらくらいなのでしょう。
タレントとして売れていない場合、年収100万円以下、年収数万円という世界です。
タレントとしての年収は100万円以下なのではないかと推測しました。
タレント以外に何かお仕事をされているのかも知れないですね。
子供は?
大島さんは離婚されていますが、息子さんはたびたび大島さんのブログに登場しています!
2017年6月19日のブログでは「1ヶ月ぶりの息子の成長」と題して、文字を書く練習をしている息子さんの写真を貼っていたり、絵を描く姿も貼っています。
息子さんとは現在も仲良く交流があるようで安心しました!
息子さんと会えることをとても楽しみにしているようです。
『パパも負けていられないな』という言葉で締めくくられていました。
離れ離れになっても子供にはたった一人の「パパ」です。
これからも息子さんの成長を見守り続けられる関係でいてほしいです^^
母の介護について!
大島さんはブログで母親のガンを発表しています。
肺がんで、腰骨に転移があり、ステージ4の末期がんというショッキングな内容でした。
大島さんは母親の介護を一生懸命されています。
その介護生活により大島さんは介護離職に直面しています。
介護する人は仕事ができなくなるわけではないですが、介護する人手がどのくらいあるのかなど、介護生活の内容はさまざまです。
在宅での介護ではひと時も目が離せませんし、日常生活の補助をしなければならないので、24時間見ておかなくてはなりません。
そのような現実から、介護離職する人も増えています。
「介護」についてもっとしっかりと考え、さまざまなサービスなどが今後増えればいいなと思います。
まとめ
いかがでしたか?
大島さんの人生はジェットコースターのようでした!
番組では介護についての詳しい話も紹介されると思います。
「介護」については今後の日本の課題にもなると思いますので、これを機に一度きちんと考えたいと思いました。
今後の大島さんのご活躍に期待しています!
大島さん、頑張ってください!!
では、またお会いしましょう!